インドネシアで大学生活

愛知県出身。 高校卒業後自動車部品メーカーへ就職。 2016年、インドネシアでバドミントンがやりたいという理由で一年間日本語教師のボランティアとして住む。 2018年、インドネシアの大学へ入学。 バドミントン全然やれてません!!

インドネシアの大学はこうだ!

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写真はイメージです

Selamat malam semuanya

こんばんは、ひろです
今回は住んでいる町と大学、結局インドネシアで何の勉強してんの?っていうところを書いていこうとおもいます。
インドネシア語だとちょっとかっこよくなりますよね)


スマラン*

僕のインドネシアでのホームタウンです。インドネシアの5大都市のひとつとされているそうです。日本でいう福岡あたりかと言われれば違う気もするので実際は日本の地方都市のようなイメージですね。
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この写真、すごーく好きな写真なんです!
以前一年間住んでいた時の下宿先の前で撮った写真なんですがこの雰囲気がすごく気に入っていて、どこか昭和チックに思えるんですよね。昭和に生まれてないけど映画の「ALWAYS 3丁目の夕日」だったり、昭和の日本はこんな風に見えていたのかもしれないって思うと不思議な気がします。これを見ていた時、「ぼくのなつやすみ」のぼくくんにどっぷり浸ってました。




大学

大学はUNIVERSITAS DIAN NUSWANTORO という名前の大学です。スマランの町のど真ん中にあり、比較的に恵まれた人が通うような私立大学です。2016年夏から一年間、日本語学科の教師のアシスタントとしてここで教えていました。その時の先生に「もしインドネシアで勉強したいならここに通いなよ」って誘われて入学することになりました。AからHまで棟があり、かなりたくさん生徒がいます。(4,5万人ぐらいいます。なので日本の平均より少し多いぐらい)

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専攻は?

テルマネージメント学科です。文学部の一つになっています。女子がめちゃくちゃ多く、男子が50人中10人ぐらいです。男子諸君、もてたいならここがおすすめです!!


うそです。もてません。。。

なぜ、ホテルマネージメント学科なのか。
深い理由はありません。ただ単に人と違う環境で学んでみたかったから。そこでいまある学科の中で何が一番興味があったかというとホテル関係でした。最終的にはマネージメントする立場になるための学科なので料理からハウスキーピング、フロントオフィスに言語も話せる必要があり、やりがいがありそうだと一番思えたからです。
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ただホテルのGMになりたいのかというとそこまで強い意思もないです。でも間違いなく日本でそのままみんなの流れにのって大学に行くことと違う経験ができるだろうと思っています。毎日授業も友達の話すことも必死についていこうとするし、毎日を必死に生きていきたかったんです。

というのも高校卒業後に2年間、僕は地元の会社の工場で車の部品を作っていました。毎日同じ工程を30秒で作る。それを繰り返して1000個作る。これじゃあロボットと変わらないんじゃないかとずっともやもやしていました。仕事を一生懸命やるというよりも流れてきたものをただ横に流すだけの毎日で、だったらこの時間を何かもっと自分や他の人に向けて何かしたいという思いが強くなったから。

日々、だんだんインドネシア語が分かっていく、授業も分かることが増えていく。成長を感じられたときはすごく楽しいです。
人とかかわること、責任を全うすること、人によってやりがいは色々ですが僕は人として生きることをこれからも目標にしたいです。


以前勤めていた職場にも今でも仕事を続けている同期や先輩がいます。仕事を続けながら生きがいを持っている人や家族のために働いている先輩方を見てきました。その人たちには本当に尊敬しているし頭が上がりません。ただ、自分にそれは少し合わなかった。だからインドネシアから帰った時に、自分も大事な”何か”をその方たちに見せられるような生活ができたらいいなと思っています。